戊辰戦争

お寺の日常

11月7日(木)。
秋晴れの気持ちの良い朝だったので、前々からやろうと思っていた戊辰戦争関係のお墓の写真を撮りました。

まずは本堂から。この本堂は西軍がいきなり駐屯したり幕府方が大量の炊き出しと雨具を求めたりと、いろいろなことがありすぎました。

 

 

 

 

 

 

 

この屋根も瓦ですが、もうすぐ200年の節目を迎えます。雨どいのひしゃげ方が雪の重みを感じさせます。
声が聞こえるようですね。
「骨が折れたよ」って。

目指すお墓は浄照寺墓地の一番奥手にあります。
(写真は逆方向です。行くときに取り忘れました)

 

 

 

 

 

 

 

そしてひっそりと佇む六基のお墓。

 

 

 

 

 

 

 

このお墓は西軍の「正気隊」という隊に所属していた方のものです。
元々は幕府方の片貝ですが、そこになぜ西軍の方のお墓があるのか。
当時、亡くなった方は敵味方ともにあまりにも可哀そうな状態で放置されていたそうです。
それを見かねた村の方が葬ったとか。
当時の浄照寺の住職も「それなら…」ということで引き受けたのでしょう。
ただ、敵方の遺体を埋めるという事はかなりの問題だったと思うのです。
それでも可哀そうなあまり…
当時の住職だった私の曽祖父が生首をもってきた人とともに読経して弔ったという逸話が残っています。
どんな気持ちだったのでしょう。
話せば長くなるので詳細は後日。

よく見ると「忠烈」の文字が。

 

 

 

 

 

 

 

これは「本田又蔵正忠」と書いてあります。

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの六基のお墓の後ろにはひっそりと小さなお墓が二基建っています。
聞くところによると、正規の隊士ではなく随行の人間、いわゆる馬の轡取り?だったり荷物運びだったりするのでしょうか。
小千谷の幕府方の駐屯地までの道案内をさせられたガイドさんが流れ弾に当たって亡くなったという話も聞いたことがあります。
いずれにしても、苗字はなく、ただ「**作」のように名前のみのお墓です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

淨照寺では毎年8月13日のお盆の墓経の際にこのお墓でも読経しています。これは戊辰以降もずーっと続いています。
そして今年は戊辰戦争から150年。
つい最近、小千谷市によって碑が建てられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

150年経った今、彼らはこの墓の下で何を思うのでしょうか。
秋晴れの空の下、聞こえてくるのは微かな風の音とコオロギの声だけでした。


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