お坊さん便について

ひとりごと

obosanbin

 

 

 

 

 

昨年12月にAmazonでサービスの始まった『お坊さん便』。

もう、この話題については色々な方が言及しておられるので、私なぞが出る幕でもないのですが、少し雑記的に書いてみます。

※参照までに→「お坊さん便とは?」

以前から僧侶派遣をされている「みんれび」という会社が始めたサービスです。
これに関して、全日仏が抗議を出したり、お寺さん側から色々な意見が出たり。

そんな中で、僧侶派遣の仕事をされたことのある瓜生さんという方がこんな記事を書いておられます。

浄土真宗の法話案内・リレーコラム「新たな搾取の構造」

確かに価格の不明瞭なお布施というものに対して定額をハッキリと明示したのは頼む側である喪主・施主にとっては望ましいことでしょう。何をどうすれば良いかがすぐわかるのですから。いわゆる「ユーザビリティーの向上」というやつですかね。

少し話は逸れますが、私は以前呉服業界にいました。着物の問屋で営業マンをしていました。
問屋というのは「中間業者」です。モノの流通を川になぞらえて「川中」ともいいます。
それに対して町の呉服屋さんを「川下」といいます。皆様の地元にも「○○呉服店」という着物屋さんは一つはおありかと思います。
そして製造元やメーカーを「川上」といいます。
分かりやすく言えば着物という「モノ」が流通という川をメーカー→問屋→地方の呉服店と流れて皆様のもとに辿り着きます。
当然、中間業者があればマージンは積まれていくので、価格は高くなっていきます。
オフレコですが(書いている以上オフレコでもないのですが…)、私の勤めていた当時は呉服屋さんの価格は製造原価の10倍ともいわれていました。分かりやすく言えば10000円のものが100,000円で販売されているのです。
そんな状況からか、中間をすっ飛ばして消費者に直接販売する問屋やメーカーもありました。
しかし世の中そんなに甘くはありません。販売するには様々な広報費や人件費がかかります。販売した後のアフターフォローもしなければなりません。安く売って利益は上げたものの、アフターフォローが後手後手になり、倒産していった会社もありました。
最終的に消費者が信用したのは「町の着物屋さんの女将」でした。そして着物屋の女将は問屋の担当「○○君」を信用して注文をしてくれます。問屋の○○君は時々呑み相手にもなるメーカーのオッちゃんにいつも無理を聞いてもらって助けてもらってます。メーカーのおっちゃんは職人に納期を急かしてばかりですが、職人とは祖父の代からの付き合いです。
こうして流通というものは出来上がっていきました。
つまり高い価格は「儲け」ではなく「信用」という付加価値がついているのです。それが流通の論理です。
必ずしも全ての業者がそうでもありません。中には儲けたい一心で値段を跳ね上げる業者も当然います。
しかし、新参者や勇み足の経営陣がその流通の論理をすっ飛ばして走ると痛い目を見ました。そういう業者をいくつも見てきました。

話を戻せば、今回の僧侶派遣はどうでしょう。もし地域に根差して何代も僧侶派遣を営み、休日深夜でも喜んで対応してきた業者さんならいうまでもありません。まさに社会から求めに応じていると言えるでしょう。
問屋では新規の取引先に関しては必ず信用調査会社から審査してもらいます。そしてその審査ををもとに「与信管理」を設け、取引金額の安全危険のボーダーラインを慎重に引きます。ちなみにこの信用調査会社の社長さんとは平素もチョコチョコお会いして相談したり会社を見てもらったりしています。年間契約料もお支払いしているので、コストもかかっています。
一方で僧侶派遣の登録はどうでしょう。大抵はネットで必要項目を入力して送信ボタンをポチっで終わりではないでしょうか。管理コストはどれほどかかっているのでしょう。

私は僧侶です。ですからこういうことを書くと「坊主が保身で書いている」と思われるかもしれません。
確かに保身の面もあります。しかし、大小様々ありますが、何代も続いて「村のお寺」を護持しているところは相当の人的・物的コストがかかっています(コストというと語弊はありますが)。

行事の度にお斎のご飯を盛ってくれるおバアちゃん。合間を見て草取りや木の伐採をしてくれる近所のジイちゃん。農地解放の時に「国に取られるなら、いっその事お寺に」といって土地や資産を寄進してくださった危篤な方。
そういう目に見えない人的・物的コストは「懇志」(こんし)と呼ばれ、大事にされてきました。

そしてこのサービスを使われる方が支払ったお金は、瓜生さんも上記のコラムで書かれているように、

>コツコツと本堂を修繕したり、法話会を開いて仏教を伝えたり、子ども会を開いて仏様の心を伝えたりといった、全国のお寺が地道に進めている活動には一円も使われることはありません。

です。
このサービスが広まって窮地に立たされるのは「檀家制度に胡坐をかいた生臭坊主」よりも、むしろ「村人に好かれる住職さん」ではないかと私は思うのです。

僧侶派遣の必要性は私も感じています。なので頭から否定というわけではありません。
ではどうすれば良いか。

宗派が同様の事業を始めるのも一つの手かもしれません。
しかしそれにはそれ相応の時間と手間がかかります。
教区レベルでは教区会、企画委員会、教化委員会、組会。本山レベルでは宗議会や参議会、様々な委員会(すいません、本山関係は詳しくないので…)。
もしくは有志でやるか。
しかし、これには基本となる企業体や法人格が無いので難しいかもしれません。
いずれにせよ、安易にサービスを始めて飛びつくよりも、長い歴史の中で培ってきた信用に敬意を払いつつ、「ゼロベース」で発想していく必要があるのかもしれません。
厳しい時代に、ただただ襟を正していこうと思うばかりです。

 


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