師走に

ひとりごと
いよいよ今年も残すところあと2日。
本年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
さてさて、今年最後の更新ですが。
『今までの寺とこれからの寺』
なんてテーマで書きます。
まとまるかどうか…
今日、こんな記事を拝読しました。
 記事中にある寺檀制度を年金に例えて『世代間扶養』とした所には、なるほど言い得て妙なところがあります。事実としてはそういう一面があります。
現実的に、今年の法務の中では↑のようなことを如実に感じることが多くありました。
例えば葬儀の後の繰り上げ初七日及び還骨勤行。うちの地元では旧来、葬儀の日の夕方に自宅で繰り上げ初七日をやり、その夜にまた近所の仕出し屋さんでおトキがありました。
それが年々セレモニーホールでやるようになり、今や自宅/セレモニーの比率は4:6くらいでしょうか。言わずもがな、セレモニーが6割です。
それでもまだ自宅で勤められるお宅があるというのは危篤なことなのでしょう。
先の記事のように、今後は益々『イエ』から『私』への宗教となっていくでしょう。この流れは変えられません。
旧来通りの檀家制度に縛られるのはゴメンだ!これからは私の意思で選びたいし人生を歩みたい!というのはあるでしょう。
これを私は「会社員とフリーランス」に例えています。
なるほど、確かに会社員は就業規則に始まり営業ノルマ、コンプライアンス、パワハラにアルハラマタハラ、人間関係… 枚挙に暇が無いほど縛られまくりです。
そこをフリーランスになればもう縛るものはありません。経理の管理から営業方針、果ては服装に至るまで全て自分の意思で決めていけます。
一方でフリーランスにもデメリットはあり、当然カゼを引けば売り上げゼロ、ピンチヒッターはまぁ、人に頼むことは出来ても、あくまで他人は他人。おまけに会社員なら福利厚生があって年金やら税金の処理をしてくれるのですが、個人はぜーんぶ自分でしなければなりません。これがとっても面倒。
寺檀制度と昨今の『私が選ぶ』は、この会社員フリーランス問題と似てると思いませんか。
確かに檀家制度は縛りがあります。
その一方でお寺の側もしっかりと檀家(門徒)さんをしっかりとケアする義務があります。ウチなんて電話一本でピューンと行きますよ。時と場合によりますが無理難題もお互い様で…
しかし『私が選ぶ』では中々そうもいかないかもしれません。『アタリハズレ』がありますから(世襲お寺にも私のようなハズレもありますが…)。
真夜中2時に電話して枕勤めにかけつけて話を聞いてくれるなんて無いかも…
決してどちらかの是非を問うつもりはありません。是非ではなく、両方のメリットデメリットをちゃんと踏まえた上で選択して頂きたいのです。
簡単に脱サラしてフリーランスになるなんて、オススメしないよっ!ということもあるでしょう。
どんな物事にも功罪両面あるという事です。
しかし、私達は迷っているヒマはありません。一分一秒が正に死へと向かう大切なひと時。
『明日には紅顔あって、夕べには白骨となれる身なり』
片面ばかり見ずにしっかりと両面を見据えて参りましょう。
南無阿弥陀仏

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