自分で『生まれたい』と思った

ひとりごと

『生まれる』という本があります。
(「生まれる」 豪田トモ)
この中で、死産を経験された方に鮫島浩二さんという出産を専門とするクリニックの先生が書かれた詩があります。
以下、その引用です。

———

おとうさん、おかあさんへ
おとうさん おかあさん 悲しい思いをさせてごめんなさい。

天国を出発する前、神様から

「お父さんたちと一緒にいる時間は短いですよ。
それでも行きますか?」

と聞かれたとき、本当にショックで、悩みました。
しかし、あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て、
地上に降りる決心をしました。

たとえあなたたちに悲しい思いをさせても、たとえ一緒にいる
時間は短くてもあなたたちの子どもに数えられたかったからです。
そして私の夢はかなえられました。
おかあさん、わたしは確かにあなたの胎から生まれましたよね?
おとうさん、わたしは確かにあなたの血を受け継いでいますよね?
わたしは永遠にあなたたちの子どもです。
そのことをわたしは誇りに思います。
いまわたしは、あなたたちと共に過ごした、短いけれども
楽しかった日々に思いを馴せ、わたしに続き、あなたたちの
家族になりたいという きょうだいたちに
あなたたちのことを自慢する日々です。
わたしは親戚のみんなといっしょに元気にしていますので、
もうこれ以上悲しまないでください。

そして心から、「わたしの選びは正しかった」と言わせてください。
泣きたくなったとき、空を見上げてみてください。
わたしたちの姿が見えますよね。
ゆっくり体調を整え、まだかなあ?と愚痴っている
きょうだいたちを迎えに来てください。

わたしは永遠にあなたたちの子どもです。
そのことを私は誇りに思っています。

———

この詩を読んだときに、とある仏教書の言葉が思い出されました。
それは中国の善導大師が書かれた「観経疏(序文義)」の中にある

———
既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と爲し、父母の精血を以て外縁と爲す。
因縁和合するが故に此の身有り。
『私たちはこの世に生まれ出ようとする時、自分の意志で「生まれたい」と願い、父と母になる人を縁として誕生するのです。つまり、自分の意志が根っこであり両親はきっかけなのです』
———
という一文です。
辛いときや苦しいとき、往々にして子供は「頼んで生んでもらったんじゃない」などと言います。つまり、自分自身の人生に納得がいかない時に、その苦悩の原因を親に転嫁しようとするのです。

しかし、本当はそうじゃない。

私たちは自分で生まれたいと願ったから生まれたんだ。

この人生に起こるどんな出来事も私自身が「であいたい」と思って引き受けているんだ。

そう考えると、自分の身に起きるあらゆる出来事の味方が変わってこないでしょうか。
また、我が子の苦悩や不幸に悩むご両親がいたとき、少しは心のスイッチが切り替わるのではないでしょうか。

『父母は縁、私の意志が因、今・ココは果』

この言葉、とても考えさせられる言葉です。
副住職 拝

 


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